西宮ライフスキル研究会

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『聴く』ということ

投稿者:かっしー

 昨日のおっちーのブログの続きで『傾聴』について書きます。

以前、保健だよりに『「聴く」ということ』というテーマでコラムを書いたのでそれを転記したいと思います。

夙川小学校 保健だより7月号より

みなさんは人の話を“聴く”のは得意ですか?実は私、得意そうに見えて苦手なのです。人の話を横取りしたり、話のこしを折ったりするのは得意なのですが・・・。

カウンセラーの資格を持つ私ですら“聴く”行為は大変難しいと感じているのです。話を聴くというのは、その相手の言葉をきちんと受け止めることであり、その言葉の背景にある“気持ち”を感じてあげることです。國分康孝氏は「言葉尻をつかむな感情をつかめ」と言っていますが、これはなかなか意識せずにできることではありません。また、哲学者の鷲田清一氏は『“聴く”ということ』という評論の中で「聴くというのは、こちら側の選択行為であり、それは何かを選んで聴くということであって、相手が伝えたいことをそっくりそのまま受け取るのは難しい。そこに自分がでる。相手に関心がないとすかさずそのことが相手に伝わる。聴かれるほうからすれば、相手が自分に関心があるかどうかはその聴き方ですぐにわかる。理解してもらっているかどうかはさほど重要ではない。それより話す方が「わかってもらえた」。「ことばを受け止めてもらえた」。と感じるほうが重要なのである。「わかってもらえる」というのは、苦しみを「分かちもってもらえるということなのだ。話を聴く際に慰めの言葉や助言など必要なく、「○○なんですね」。と相手の言葉を繰り返すだけで、話し手は丸ごと受け止めてもらえたと感じるのだ。」と述べています。

 ここで私の失敗談をお話しましょう。私の高校3年生の娘は、小学5年生の3学期に不登校になりました。直接の原因は担任教諭への不信感でした。6月、自然学校を拒否し、毎日のように担任批判をする娘に対し、私は話を聴くどころか「それはあなたのわがままじゃない?」「何でそんなことばかり言うの?」と言葉尻をつかんでは説教をしていました。1月中旬から原因不明の高熱が2週間ほど続き、お医者様からは「免疫が低下している。無理に学校へ行かさない方がよい」。とのアドバイスを受けましたが、親としてはこのまま不登校になるのでは?という不安でいっぱいでした。ようやく熱も下がり学校へ行かせようとしましたが、全く起きようとせず、無理に起こそうとすると「お腹が痛い。起きれない。ママなんかあっち行け」。とそばにあったテーブルを思い切り蹴飛ばし、テーブルが壁にぶつかり穴があきそうな時もありました。それでも引きずるようにして起こすとそのままトイレにこもり、1時間も2時間も出てきません。途方に暮れた私は知り合いのカウンセラーに相談しました。カウンセラーからは「加島さんは保健室では子どもや保護者の話をいつもしっかり聴いてあげているでしょう?お嬢さんに対してはどうかしら?お嬢さんの気持ちを一緒に味わってあげたことがありますか?」といわれました。ハッとしました。私は娘を追いつめることばかりしていたからです。それからは娘のどんな言葉(気持ち)も聞き逃すまいと心がけ、娘の担任批判に対し「そっかぁ。そんなことがあったんだね。つらかったね。悔しかったね」。と娘の気持ちを一緒に感じるようにしました。

3月末、6年生に向け良いスタートがきれればと思い、娘にカウンセリングを受けることを勧めると

「どうして?ママがいるじゃない。ママが聴いてくれるからそれでいいよ」。と言ってくれたのです。

4月。無事新しいスタートが切れました。改めて我が子を通して「聴く」ことの大切さを教えてもらった出来事でした。

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