今日、同僚と食事をしていて、初詣の話になり、一人の同僚が
「おみくじを引いたら“凶”だったから、夫にも引かせたら同じく“凶”やってん。なんか新年早々いやな気分やわ~」と話してくれました。
新年早々“凶”なんておみくじで引くと、ショックですよね。
私も、10年以上前に一度“凶”を引いてしまい、その年一年間、何か嫌な事や辛い事があると「やっぱり“凶”なんかひいたからや」とおみくじのせいにしていました。
これは“思い込みの心理学”といって、「凶だったから何か嫌な事があるにちがいない」といつも考えていると、悪いイメージしか頭に浮かばず、結果的に悪い事を呼び寄せてしまうということです。
このことがあって以来、私はもう一生おみくじは引かないと決めました。そんな事に振り回されるくらいなら引かないほうがましと考えたのです。
ですから、おみくじに関わらず、細木和子さんの占い本も読みません。「あなたは今年から3年間、大殺界にはいります」なんて書いてあったら、いくらポジティブな私でもショックを受けると思うからです。
そんなおみくじの話をしながら、ふっと、ある本に書かれていた文章を思い出しました。
その本というのは「随想 言の葉 ~日本の山河を愛して旅して~」(文芸社 ビジュアルアート出版)です。
この本は、私の昔の同僚で、現在高砂市内の小学校に勤務している林 和也先生の著書です。
その一説をご紹介します。
凶はめでたし逆転の発想
私は、言葉のエネルギーの解明に生涯を捧げられた東京の小田野さなえ先生のこんな言葉を思い出します。
「林君。凶という字は本当はいい字なんですよ」。「中にはメ(名・命=ことばといのち)が入っていて、全部の方向が塞がれていないでしょ」「下をみてもだめ、右も左も壁になっているでしょ、でも、唯一あいている方向があるでしょ」「それは上=天ですよ、大きく挫折したり、絶望した時こそ天(大自然)に自分の意識を向けていけば幸運がつかめますよ」。
そんなにいい字だからこそ、人間の可能性の原点である「脳」の中にも「凶」がつかわれているのですね。
「凶」をこのようにとらえると全然いやではないですよね。私はこの素敵な言葉を林先生から頂きうれしくなりました。
この本を謹呈くださった林先生。とても素晴らしい本をありがとうございました。
ちなみに、年末の大掃除のとき、棚の上からポロッと落ちてきたおみくじがあって、みると「大吉」!?
家族に「これ、だれのおみくじ?」と尋ねると、夫が「ああ。それ今年の初詣に西宮神社で引いたみくじや」と一言。私はそれをきいて「やっぱり。おみくじって当てにならんね。だって、あなた、今年最悪の年やったやんね。ゴールデンウィークに吐血して救急車で運ばれて、お酒もタバコも飲めなくなって。いいことなしやもんね。何が大吉よね~。もうおみくじなんて引かんとき~」と言いいました。
しかし、懲りない夫は、今年も西宮神社へ初詣に行きおみくじを・・・それも鯛みくじとかいう、鯛の口に挟まれた300円もする(通常100円)おみくじを買い、今年は「吉」やったと単純に喜んでいました。
まあ。おみくじを引いてどんな結果でも笑っておしまいにできるのが一番いいのかも知れないですね。